カルミネ・アバーテ『帰郷の祭り』訳者あとがき
父の背中、息子の眼差し
本書『帰郷の祭り』(La festa del ritorno, Oscar Mondadori, Milano, 2004)の語り手が暮らす南伊の小村「ホラ」は、著者の生まれ故郷であるカルフィッツィをモデルにしたアルバレシュ共同体である。長篇デビュー作『円舞』(Il ballo tondo, Marietti, Genovam 1991)や、今春に邦訳が刊行された『偉大なる時のモザイク』(Il mosaico del tempo grande, Mondadori, Milano, 2006)をはじめ、アバーテはこれまでに繰り返し、ホラを舞台とする物語を手がけてきた。「著者あとがき」にもあるとおり、ホラ(=カルフィッツィ)は十五世紀末、オスマン帝国の支配から逃れてきたアルバニア人たちにより創建された部落である。ホラと同様の歴史的背景を持つアルバレシュ自治体は、シチリアやカラブリアをはじめ、南イタリアの各地に点在している。『帰郷の祭り』にアバーテが込めた思いは、「著者あとがき」のなかでじゅうぶんに説かれている。そこで以下では、本書とほかの著作との関連性を検討することにより、アバーテの文学における『帰郷の祭り』の位置づけを明らかにしていきたい。
アバーテの手がけた全長篇のうち、『帰郷の祭り』はもっとも自伝的な色合いの濃い作品である。著者同様、出稼ぎの移民を父親に持つ少年の眼差しをとおして、帰郷の喜びや旅立ちの痛みが綴られている。「移住」はアバーテの文学の中心に位置する主題のひとつであり、作家の想像力の源泉でもある。ただし、移住について書く際のアバーテの筆致は、最初期の作品から『帰郷の祭り』へと至る過程で、少しずつ変化していっている。
「著者あとがき」によればアバーテは、「故郷を捨て、移住を余儀なくされることへの怒り」を書くつもりであったという。実際、一九九三年に出版された短篇集『壁のなかの壁』(Il muro dei muri, Lecce, Argo, 1993。一九八四年に刊行されたドイツ語による短篇集『鞄を閉めて、行け!』のイタリア語版)を読むと、「怒り(rabbia)」がアバーテの初期作品の重要なモチーフであったことがよく分かる。著者は南伊プーリア州のバーリ大学を卒業した後、父親と同じようにドイツへ移住している。『壁のなかの壁』に収録された短篇はいずれも、移民としてドイツで暮らした経験をもとに書かれたものである。同書の短篇「人はいかにして茨になるか」より、移民の置かれた境遇が窺い知れる描写を引用してみよう。
「ここではお前は外人だ。連中はなんの遠慮もなしにお前に言うだろうよ。〈おい、泣き言を並べたいなら、自分の国に帰ってやってくれ〉」 1
家でも、叔父さんの家でも、「イタリアセンター」でも、僕たちはみんな犠牲について語っていた。僕たちはみんな、犠牲を捧げていた。2
よくよく考えてみると、自分がこんなにも愛国的になったのは、生まれてはじめてのことだった。移住してからというもの、僕にとってイタリアは、棘のないバラのような存在になっていた。たぶん、「K」で働いているほかの外国人も、似たような経験をしていたのだろう。3
アバーテの父親は、移民として生きる痛みと苦しみを深く理解していたからこそ、息子には自分と同じ人生を歩ませたくないと考えていた。『壁のなかの壁』に収録された短篇「かなたの偶像」には、作家の父親をモデルにしたと思しき移民が登場する。
移民として十五年を過ごした今、父さんはほとんどすべての計画を実現させていた。新しい家を建てること、たっぷりの婚資といっしょに娘を嫁がせること、測量士の立派な資格を息子に取得させること。はじめは、七、八年もすれば帰国するつもりだった。けれど父さんは魔法使いではない。それに、故郷の景気が良くなるどころか、ますます悪化するなんて、移民になったころは想像もできなかった。(……)「俺が戻ったら、俺たちみんな、家の壁を食う羽目になるぞ」だから父さんは、移民をやめるわけにはいかなかった。父さんはまだ、ドイツにいた。4
そんな父のもとを、語り手の青年が訪ねに行く。父の仕送りのおかげで無事に大学を出たものの、故郷のカラブリアには職がない。そこで彼は、父親と同じようにハンブルクで働こうと決意する。けれど父は、息子の考えを一蹴し、すぐにイタリアへ帰るように命じる。「いいからもう寝ろ。疲れてるだろ。明日は八時の特急でミラノに戻れ」これが、痛ましい沈黙の後に下された結論だった。「故郷で母さんといっしょにいろ。職がなくたっていい。そんなことはどうでもいいんだ。金は俺が送ってやる。お前はすぐに発て……」それから父さんは、老いた賢者のような雰囲気を漂わせつつ締めくくった「……移住というのは、不治の病みたいなもんだ。いったん取りつかれたら最後、二度と振り払うことはできないんだよ」5
『壁のなかの壁』において、アバーテはもっぱら、移住に備わる負の側面を描くことに注力している。移民はあたかも、十字架を背負うキリストのようにして、家族の未来のために自らの日々を犠牲にする。けれど、『帰郷の祭り』のマルコ少年も言うように、幼い子供にとって未来とは「中身のない空っぽの言葉」(本書三六頁)に過ぎない。なぜ人は、未来のために故郷を捨てなければならないのか。少年のころから胸に住みついていたこの疑問を、著者はやがて文学の形へと昇華させていく。一九七〇年代後半から九〇年代半ばにかけて、アバーテは詩の創作にも取り組んでいた。それはちょうど、作家が移民としてドイツに暮らしていた時期に重なる。小説の場合と同じく詩においても、「移住」の主題は中心的な役割を担っている。「故郷から」と題された一篇では、移住先と故郷のあいだを渡り鳥のように行き来する著者や友人たちの境遇が、哀切な響きをもって歌われている。
故郷から
親愛なるマリオ、僕はまた、空を眺めてみた
――あのとき、きみが指さしてくれたのと同じ
流れ星、小熊座、大熊座の見える、あの空を――
僕の探している答えはそこにはないと
もういちど、確かめるために
そう、もしきみが、移民ではなかったなら
もし僕が、移民ではなかったなら
(…)
失業者といっしょに、ブリスコラをして遊んでいる
年とった農夫たちに、僕は再会した
僕たちの家を建てる闇労働の職人に、
ドイツで生まれた赤ん坊のための
幼稚園を計画している役人に、僕は再会した
まるで僕らが、移民ではないかのように
(…)
けっきょく僕は、幻想を墓に埋めた
(叫んでみたい気がするんだ、「さぁ、帰ろう」)
感傷にまみれたつながり-怒りに染まり、そして、その後は?
ただひとつのこの空の下、ひどく、ひどく感傷的な
カラブリアの大地
まるで僕らが、移民ではないかのように6
ジェルマネーゼ
僕は見ていた。父さんが汗だくになり
固い地面に、つるはしを打ちこんでいる
力をこめて、怒りをこめて
踏みつけにされ岩となった花を、砕いている
(…)
光に満ちた日々の灰色が
新参者の微笑みのなかに
消えていった。
色褪せた夢が芽吹き
過去と未来が
乾いた傷のなかで凝固した
(…)
現在に生きることは
難しい8
これまでに見てきた例からも分かるとおり、アバーテの初期作品の多くは、自身や父親のドイツにおける体験をもとに書かれている。一方で、一九九一年に刊行された長篇第一作『円舞』は、移住先の土地ではなく、著者の生まれ故郷であるアルバレシュ共同体(ホラ=カルフィッツィ)を舞台にしている。アバーテはこの作品のなかで、それまでの短篇や詩には見られなかった、「共同体の起源の探求」という主題を取り上げている。これはその後、『スカンデルベグのバイク』(La moto di Scanderbeg, Fazi, Roma, 1999)や『偉大なる時のモザイク』へ引き継がれていく、アバーテ文学の核心と呼ぶべき要素のひとつである。
『円舞』の語り手であるコスタンティーノは、『帰郷の祭り』のマルコと同じく、出稼ぎ移民を父に持つ少年である。コスタンティーノには二人の姉がおり、彼女たちが嫁ぎ先を見つけるまでの過程が、小説のプロットを構成する主たる要素になっている。出稼ぎ移民の父親が故郷の家族のために犠牲となる構図は、すでに見た短篇作品や『帰郷の祭り』と同断である。
『円舞』の世界を特徴づけているのは、物語の要所に挿入される四篇の「ラプソディア(rapsodia)」である。ラプソディアとは「朗唱のための叙事詩」を意味するイタリア語表現であり、アバーテの作品においては、アルバレシュ共同体に伝わる口承の物語詩を指している。アバーテは幼いころより、村の老婆たちが歌うアルバレシュ語のラプソディアに、好んで耳を傾けていた。長じてからは、カセットレコーダーを肩にかけ、ラプソディアを録音してまわることさえあったという。9『円舞』では、各章の冒頭に配されたラプソディアが、物語の内容を暗示する仕組みになっている(いずれのラプソディアも、著者によりイタリア語に翻訳されている。ただし、タイトルだけはアルバレシュ語のままである)。第三章の冒頭を飾る「イシュ・ニア・ヤマ・シュム・エ・ミル」と題された一篇には、小説の主人公と同じ名前のコスタンティーノという人物が登場する。コスタンティーノは年老いた母のために、遠い土地に嫁に行った妹を故郷に連れ戻そうとする。
教会の扉が閉ざされるなり、コスタンティーノは墓から起き上がった。彼の上にかぶさっていた石は馬となった。コスタンティーノは馬にまたがり、骨と骨がぶつかる音を響かせ妹の家へ向かった。
(…)
「コスタンティーノ、わが兄よ!」
「ユレンディーナ、すぐにわたしと来なさい。わたしと家に戻るのだ」
「わけを教えてください、わが兄よ。悲しみのために行くのなら、黒い服を着なければいけません。喜びのために行くのなら、祭りの服を着なければいけません」
「来なさい、わが妹よ、そのままの姿で構わないから」そう言って、コスタンティーノは妹を馬に乗せた。
二人が道を行くあいだ、鳥たちがさえずっていた「生者と死者がいっしょにいる!」
コスタンティーノはこう答えた「あの鳥は愚か者だ。自分の話していることが分からないのだ」
妹が兄に言葉をかけた「コスタンティーノ、わが兄よ、わたしには悪い徴が見えます。あなたの広い肩に黴が生えています!」
「ユレンディーナ、わが妹よ、銃の煙がわたしの肩に黴を生やしたのだ」
「コスタンティーノ、わが兄よ、わたしには別の悪い徴が見えます。あなたの巻き毛が埃にまみれています!」
「ユレンディーナ、わが妹よ、お前には通りから巻き上がる埃が見えているのだ」
(…)
二人は村に着き、教会の前を通りかかった。
「わたしは祈るために教会へ寄っていく」
妹はひとりで家の階段をのぼり、母親に会いに行った。
(…)
「あぁ、開けてください、お母さま、わたしです、ユレンディーナです!」
「わが娘よ、お前を連れてきたのは誰?」
「コスタンティーノが連れてきてくれました。わが兄のコスタンティーノが!」
「コスタンティーノ? あの子は今、どこにいるの?」
「祈るため、教会に入っていきました」
「わたしのコスタンティーノは、死んだのよ!」
母は娘を抱きしめ、娘は母を抱きしめた。
母と娘は死んだ。10
そこでわたしは遍歴をはじめた。あのアルバニア人と同じように、ラフタ[アルバニアの弦楽器]を弾き、古いラプソディアを歌いながら。祭りから祭りへと放浪し、自ら楽しみ、人を楽しませ、そして同時に、わたしたちは誰なのかを思い起こさせたんだ。なぜなら、あのころにはすでに、そうした記憶は忘れられかけていたからね。11
『円舞』における吟遊詩人は、『偉大なる時のモザイク』の登場人物ゴヤーリと似た役割を果たしている。アルバニアからホラへ亡命してきたモザイク作家ゴヤーリは、ホラの起源をモザイク画に描くことで、「モティ・イ・マヅ(偉大なる時)」の記憶を未来の世代へ伝えようとする。物語は、俺たちの内側や俺たちのまわりに、はじめから存在している。俺はただ、木から果実をもぎとるように、物語を集めるだけさ。そして、物語ができるかぎり長持ちするよう、モザイクの姿に留めるんだ。12
モザイクの欠片が一枚、また一枚と重ねられるごとに、ホラの若者たちの奥底に眠る、かなたの記憶が呼び覚まされる。それは共同体の起源にかかわる、五〇〇年前の祖先たちの記憶である。ゴヤーリのモザイク画や吟遊詩人のラプソディアは、アバーテ文学の隠喩でもある。アバーテの描く世界において、「物語」はつねに「記憶」と結びついている。それは個人の記憶というよりも集団の記憶であり、共同体の成員の過去と、現在と、未来をつなぐための手がかりである。現在を生きるわたしたちは、過去から鳴り響く「物語の震え」を聴きとることで、未来への一歩を踏み出す。物語は、連綿と流れつづける時のなかで、自らの居場所を見失わないための指針である。「わたしたちはどこから来たのか。わたしたちは何者なのか。わたしたちはどこへ行くのか」この切実な問いかけに答えるために、人は記憶に物語の形式を与え、世代から世代へと引き継いでいく。『帰郷の祭り』のマルコ少年も、浜辺で病後の療養をしているあいだ、祖母の歌うラプソディアを聴き耳を楽しませていた。家族と離れて生きる人びと、かなたの故郷を思い涙を流す人びとの物語を、祖母は孫に歌って聞かせる。そしてマルコは、この人たちが自分の「ご先祖さま」であることを教えられる。ここで着目したいのは、マルコが祖母のラプソディアを聞きながら、自身の父親の人生を、アルバレシュの祖先たちのそれと重ね合わせている点である。
「かなた」というのは、フランスだ。僕はそう考えた。それ以外にどこがある? お祖母ちゃんはそれがどこか言わなかった。フランスだ。そこでは、父さんが暮らしている。(本書一二〇頁)
マルコの父と、ホラを創建した十五世紀の漂流者たちは、「旅立ちを強いられた者」としての宿命を共有している。五〇〇年前の過去と現在が、移住という経験を媒介にして、少年の想像力のなかでひとつになる。これは、怒りの感情を土台に書かれた初期の短篇には見られなかった視点である。アバーテは、『円舞』や『スカンデルベグのバイク』といった長篇をとおして、「故郷(ホラ)」と「移住」をめぐる描写を深化させてきた。『帰郷の祭り』において、この二つの要素はついに有機的な結合を果たす。過去へ向けられた祖母の眼差しと、現在へ向けられた少年の眼差しのなかで、十五世紀末のアルバニアとカラブリア、現代のカラブリアとフランスがひとつの環を形づくる。この円環が、物語の時空間を拡張させ、「旅立ちを強いられた者たち」の宿命を一本の糸でつなぎ合わせる。アバーテは、次作『偉大なる時のモザイク』で「宿命の反復」という主題を再度取り上げ、これ以上は望みようがない見事な手腕で、ホラの始祖と現代の移民の声を共振させている。「移住」の経験を、怒りよりむしろ想像力の源泉とすること。これが、初期作品から『帰郷の祭り』にいたる過程で、作家の筆致に生じた重要な変化である。二〇一〇年に刊行された二作目の短篇集『足し算の生』(Vivere per addizione e altri viaggi, Mondadori, Milano)には、そうした変化がより明白な形で表われている。たとえば、同書収録の短篇「ケルンの大聖堂」には、著者自身を思わせる語り手が、大聖堂に安置されたマギ(東方の三博士)の聖遺物を前にして、移民の父親を連想する場面がある。
僕は子供のころからマギの物語が大好きだった。神の御子の生誕を祝うため、贈り物を持ってキリストを探しにやってきた偉人たち。けれど僕にとって、マギにはそれ以上の意味があった。マギは不屈の精神を持った旅人だった。はてしない道を越え、世界を渡り歩き、素晴らしく美しい景色をいくつも見てきた。夜空に輝く大きな星がマギを導いていたから、道に迷う心配はなかった。子供のころの僕は想像した。家族のために仕方なく旅人となり、まずはフランスへ、やがてはドイツへ移住した僕の父さん。父さんもまた、自らの星を空に見つけ、無事に家に帰ってこれますように。要するに、僕は子供らしい純真な愛情を東方の三博士に抱いていた。あらゆる聖人のなかで、マギはもっとも神聖な存在だった。13
作家の父はここでもやはり、ひとりきりで外国に暮らし、故郷の家族のために働く人物として描かれている。父親と離れて過ごす長い時間は、少年時代のアバーテの想像力に決定的な影響を与えた。上に引用した箇所では、神話的な太古の時間が、書き手の生きる現在へ、少年の眼差しのなかでごく自然に接続されている。『帰郷の祭り』のマルコ少年は、父が家族の未来のために犠牲を捧げている現実にたいして、怒りと悲しみを抱いていた(「僕はただ、その物語を受け入れられないだけだった。そんなの不公平だ。残酷だ。僕はそう思った」本書三六頁)。けれど、遠くの父を思う時間が、少年の想像力を豊かに養い、身のまわりの世界を美しく彩ったこともまた、間違いのない事実なのである。『足し算の生』に収録された「イカ」という短篇にも、「移住」が喚起する想像力の興味深い例が示されている。ホラを舞台とするアバーテの作品には、「イカ(ika)」という遊びに興じる子供たちがしばしば描かれる。これは「かくれんぼ」によく似た遊びらしいが、著者によれば、たんなる「かくれんぼ」と「イカ」のあいだには重大な違いがあるという。
イカは文字どおりには「僕は逃げた」という意味になる。この名前を聞いただけで、イカがかくれんぼよりも奥の深い逃走のゲームであることが分かるだろう。それは未知への逃走なのだ。一分で終わることもあれば、永遠につづくことだってあるかもしれない。(……)イカはまるで、僕らの将来のための訓練だった。逃げながら暮らし、たえまなく往き来をつづける生活が、大人になれば待っているから。14
少年時代の遊戯、キリスト教の聖人、祖母の歌うラプソディア。そのことごとくが「移住」に関連づけられ、「旅立ちを強いられた者」をめぐる物語の一部となる。それはアバーテにとって、父の物語であり、祖父の物語であり、共同体の始祖たちの物語でもある。『帰郷の祭り』の結末では、マルコのホラからの旅立ちが予告される。父の人生を反復し、移民として生きる道を選んだことに、マルコは誇りを感じている。アバーテの文学において、移住の宿命を晴れやかに受け入れる人物が描かれたのは、これがはじめてのことである。『帰郷の祭り』のエピグラフには、イタリア系アメリカ移民の第二世代であるジョン・ファンテの作品から、以下の一節が引かれている「書くためには、愛さなければならない。愛するためには、認めなければならない」15この表現には、初期作品から『帰郷の祭り』にいたるまでの、作家アバーテの歩みが要約されている。移住はかつてのアバーテにとって、怒りとともに書くべき主題にほかならなかった。けれど著者は、移住をめぐる文学を書きつづけるうち、「旅立ちを強いられた者」の宿命を愛し、認めることを学んでいく。その過程は、旅立つ父の背中を見送る、マルコの眼差しの変化と重なる。『帰郷の祭り』に描かれる、少年の自己形成の物語には、アバーテ文学の深化と成熟が反映されている。本訳書の刊行にあたっては、未知谷の飯島徹さん、伊藤伸恵さんに、たいへんお世話になりました。訳者が未知谷に『帰郷の祭り』の翻訳刊行を提案したのは、二〇一三年の春のことでした。しかし、その際は権利の交渉が思うように進まず、出版は断念せざるを得ませんでした。二〇一四年秋、わたしたちはふたたび権利の交渉に臨みましたが、それはちょうど、『帰郷の祭り』の改訂新版が刊行された時期に重なっていました。わたしたちが交渉を持ちかけたとき、カルミネ・アバーテの著作権エージェントは、同書の翻訳権を日本の大手出版社に売りこんでいる最中でした。けっきょく、二度目の交渉においても、わたしたちは引き下がらざるを得ませんでした。二〇一五年春、未知谷は同著者の『偉大なる時のモザイク』の権利を取得し、今春に同書の拙訳が刊行されました。その後、原著者によるエージェントへの働きかけの甲斐もあって、今年の五月、ついにわたしたちは『帰郷の祭り』の翻訳権を取得するにいたりました。最後まで匙を投げずに、訳者のわがままにお付き合いくださった未知谷の皆さまに、心から感謝を申し上げます。こうして無事に、本書を日本の読者に届けられることを、ほんとうに嬉しく思います。
本訳書の底本には、二〇一四年に刊行された改訂新版を利用しました。新版には、改行や言葉の選択といった面で、全篇にわたり細かな修正が加えられています。
カルミネ・アバーテの著作は、本訳書と『偉大なる時のモザイク』のほかに、『風の丘』(関口英子訳、新潮社、二〇一五年)の邦訳が刊行されています。本書と併せてお読みいただければ幸いです。『帰郷の祭り』と『偉大なる時のモザイク』が、「旅立ちを強いられた者たち」の物語であるとするなら、『風の丘』は、「故郷にとどまるために闘いつづけた者たち」の物語です。二つの物語は、アバーテの文学を形づくるコインの両面であり、そのどちらにも、土地と人間のかかわりをめぐる、豊かな示唆と深い思索が含まれています。アバーテの最新作『待つ幸福』は、二〇世紀のはじめにカラブリアからアメリカへ移住した、アバーテの祖父の体験に着想を得た物語です。アバーテは今もなお、ホラを舞台とする作品をとおして、「旅立ちを強いられた者たち」のラプソディアを歌いつづけています。
二〇一六年七月 谷津にて
訳者識